「何歳になっても挑戦するのに遅すぎることはない」と話す前島貴子さん=愛知県内の病院で
32歳の時、飲食店を経営し、借金を抱えていた父が自死しました。私は大学卒業後、故郷の島根県で薬局を営んでいましたが、父を救えなかったことが悔しくて、申し訳なくて。以前から夢だった医師への思いが一層強まり、医学部受験を決意しました。
予備校に通って勉強を始め、同じ頃、結婚もしました。中学、高校時代から勉強は大の苦手。不合格のたびに落ち込みました。36歳で長女、39歳で長男を出産して育児にも追われましたが、子どもを保育園に預けながら勉強と受験を続けました。授乳期には胸が張って痛みに耐えられず、試験会場で搾乳したことも。7年越しでようやく愛知県内の大学の医学部に合格しました。
奨学金を借りて医学部に入った後も、授業に付いていくのが大変でした。子どもが公園で遊んでいる時もテキストを読んでいました。在学中に次男が生まれ、留年もして卒業。医師免許を取得するための国家試験にも落ちてしまい浪人しましたが、2019年4月から医師として働き始めました。
昨年は、研修医としてコロナ患者を担当する呼吸器内科などでも経験を積みました。月に6回ほど当直もあり、体力的にきついですが、命をつないだと実感できる時が何よりの喜びです。
子どものお弁当作りなど、仕事と子育ての両立は大変。でも、夫も子どもも食事作りや家事をしてくれて助けられています。子どもたちは、私を応援してくれています。医学部時代は、島根に住む母も手伝いに来て支えてくれました。亡くなった父も、医師になりたいという私の夢を知っていて、「頑張れ」と背中を押してくれた気がします。
長引くコロナ禍で先が見えず、つらくて真っ暗闇の中にいる人もいるかもしれません。でも、どこかに必ず光はあります。一筋の光を見失わず、光をたどって生きていってほしい。何歳になっても、何度でも挑戦できるし、やり直しもできます。働き盛りの時期と出産、子育てが重なり、夢を諦めがちな女性たちに特にそう伝えたいです。
[元記事:東京新聞 TOKYO Web 2021年5月26日]