山根公利氏が働いていることをご存知でしょうか。―なぜ、山根氏は島根で仕事をするのか。今回は、同じく島根を拠点に仕事を行っている、IZM designworks代表/ディライトワークス・クリエイティブオフィサーの直良有祐氏と共に、お二人の出会いから島根で働こうと思ったきっかけ、そしてお互いの業界のことなど、様々なことをお話しいただきました。“島根クリエイター対談”どうぞ最後までお楽しみください。<聞き手:山崎浩司>――今日はよろしくお願いいたします。では最初に、お二人が出会ったきっかけを教えていただけますか。昔からお知り合いなのでしょうか。直良有祐氏(以下、直良)結構最近ですよね。山根公利氏(以下、山根)最近ですね。共通の知人を通じて…というのがきっかけでした。直良2000年頃ですよね、島根で仕事を始められたのは。たまたまその時に地方紙で取り上げられていて。山根さんの代表作「カウボーイビバップ」も大好きだったので、一方的には存じ上げていました(笑)。山根2000年かその前年頃ですね。出身は島根県川本町なのですが、とりあえず島根ならどこでもいいや、と戻ってきました。直良自分が島根に戻るときも、山根さんの島根での働き方を参考にさせてもらったりしてました。山根参考になれたのなら嬉しいですね(笑)。お互い「これから島根で仕事をしていて大丈夫なのか」というところも含めて、これから話していきたいです。島根に帰ってきた意味、というのもだんだんと分かってくるんじゃないかなと。――山根さんは、なぜ島根へ?山根「カウボーイビバップ」から「無限のリヴァイアス」「アルジェントソーマ」あたりまでは東京で働いていましたが、仕事に「マンネリ感」「閉塞感」みたいなものが出てきてしまって。一度故郷へ戻ってみるのもいいかなと思ったんです。それで、土地を探してみたら浜田市のあたりに広めの土地がありまして。車を趣味にしているのもあって、ここならガレージも作れそうだなと。趣味も活かせて、仕事に対する「転換点」にもなるのではないかと、帰ってきました。――「地方から東京に出たい」というのはよくありますが、その逆は珍しいですよね。山根都会の「情報の多さ」とかはすごく魅力的だったのですが、その情報量や「東京」という枠に囚われるのが少し怖かったんです。ヒット作や、流行に流されてしまうのではないかという怖さもありました。自分の良さは情報量が少なかった島根で鍛えられたところがあるのではないかとも思っていて、自分を一度リセットしたかった、というのも理由の一つにあると思います。――直良さんは、山根さんのどのようなところを参考にしたのでしょうか。直良「仕事の受け方」を見てましたね。――今ほどインフラが整っていない頃から島根で仕事されているので、当時どのように仕事を受けていたかは、たしかに気になります。直良ネットがそこまで普及していない時期ですよね。それにも関わらず、変わらず大手アニメ会社からの仕事を受け続けているのを見て、「信用や関係性を構築していれば、地方でも仕事ができるんだ」と。山根信用は大事ですね。直良さんもですが、真面目に仕事を続けていれば、場所は問題ではないのかなと。直良地方で働くことに関して言えば、ゲーム業界はアニメ業界より少し遅れているので、先駆者がいないんですよね。なので、近隣業種の方にアンテナを張っていました。山根漫画家さんとかって地方で描いてる方も多いじゃないですか。一緒にするのは失礼かもしれませんが、絵を描く仕事って地方でもできるのかな、というのはありましたね。東京で働いていた頃も、描いたものをFAXしてスタジオにはいかない、というのが度々ありましたし。ネットは普及始めくらいでしたが、FAXと比べてカラーの絵が送れるのを見て、これがあれば自分の仕事は事足りるなと(笑)。科学の進歩に合わせて仕事のやり方を変えるというのは、メカニックデザインのSF的な部分に通じるものがあるんじゃないか、面白いのではないかとも思っていましたね。――いまでこそリモート作業は当たり前になりつつありますが、当時からその考えをお持ちなのは純粋にすごいと思います。ちなみに、東京に出向くこともあるかと思いますが、お二人は、どのくらいの頻度で東京に出られているんですか?山根今は3ヶ月に1回くらいですね。仕事の内容によっては月に1回とかのときもあります。直良自分は2週間に1回ほどですね。いきなりすべてをリモートに移行するのは少し怖かったので、前職をやめたタイミングでマンションを一部屋借りて作業しています。――直良さんはディライトワークスにデスクを置いていないと伺っています。直良最初は用意してもらっていたのですが、どんどん余計なものが煩わしくなっていくんですよね。iPadとWi-Fiがあれば仕事はできるので、今は席を取っ払ってしまいました(笑)。――山根さんはアナログで作業しているのでしょうか。山根まだ鉛筆とコピー用紙ですね。老眼で「絵の全体を見ながら細かいところを描く」というのが辛くなってきたので、拡大できるタブレットもいいなとは思っているのですが(笑)。ゲーム業界は元々完成物がデジタルのものなので、作業環境もデジタルへの移行が速くて。タブレットが会社から支給されてるというのを聞いて、羨ましいなと。直良紙でもデジタルでも、メカニックデザインって下地になるものが絶対必要じゃないですか。山根さんも幼少の頃などにその下地になるものに触れてきたと思うのですが、島根という田舎な土地で、どうやって知識を吸収してきたのかが気になります。――それは、こちらも気になるところです。いかがでしょうか。山根そういう話は絶対出ると思っていました(笑)。実は、漫画にもアニメにもあまり触れてはなかったんですよ。その中で唯一好きだったのが、兵器類を初めとした「メカ」だったんです。なので、当時は兵器が出てくる「戦記もの」ばかり読んでいました。東京の同年代の人に聞いてもあまり読んでいた人がいないのですが、地元の本屋の品揃えがやたら良くて(笑)。片っ端から読んでいましたね。その後、松本零士さんの「ザ・コクピット」がでるわけです。これがもうメカ描写がものすごくて。松本さんの描くメカは描写が生々しくて、リアルでかっこいいんですよ。そこから松本さんの作品に触れ始め、「アニメにおけるメカニックの表現」にあこがれて、特化していったんだと思います。他にも「スター・ウォーズ」や「スター・トレック」からもインスパイアされてますね。あと、昔の島根はNHKと民放一局というテレビ事情があったので、NHKで放映していた「サンダーバード」にも影響を受けています。島根という情報が絞られていた土地で過ごしたからこそ、メカニックに特化できたのではないかなと思っています。日本のアニメって、メカのキャラクターを描くことにすごく長けていると思うんです。漫画から発生したメカのキャラってあまりいないですよね。直良確かに、あまり思いつきませんね。山根ガンダムもヤマトも、やっぱりアニメからじゃないですか。今はメカ物って少し元気がないのですが、アニメが生んだ一つの文化だと思うんです。アニメによって、メカも育ってきた。だから、メカニックデザインも大事にしていかないとな、と思うんです。直良今は分岐点に来ている気がしますね。プラモデルやおもちゃでメカに触れて来ていることもあり、「メカをキャラとして捉える」というところを訓練されているんですよね。ここが海外の人にはあまり伝わらない。メカはメカという意識が強いんです。でも、ようやく「キャラとしてのメカ」という概念が伝わりつつあります。山根メカ物やメカニックデザインを、文化としてどう大事に残していくか。そういうことを今は考えていたりします。直良やっぱり「おもちゃ」じゃないですかね?企画の段階からアニメとおもちゃは直結していますし。山根それも大きいですね。ただ、自分たちはOVA世代だったので、あまりおもちゃとは関係なくデザインしてきました。大河原邦男さんとかは、アニメとおもちゃが直結した作品を多く手掛けていたりしますが。――山根さんが携わっている「カウボーイビバップ」もオリジナル作品ですよね。ちなみに、お互いの作品を見て、率直な感想などはありますか?山根アウトプットが「絵」というところは一緒ですけど、やっぱり考えていることとかはぜんぜん違うんだなと。自分もゲームの仕事って全然やったことないので、勉強になりますね。今回出会えたのも、お互いが持ってない部分で惹かれ合っているというのもあると思うんですよ。アニメ業界とゲーム業界が、お互いの現場に思っていることがそれぞれあるように。直良自分は「絵で食べていけないかも」と思ってゲーム業界に入ったんですよね。当時はドット絵だったんで、絵がうまい必要はなかったんです。それが、ハードの表現力が上がるにつれて様々なスキルを求められるようになってきて、後から自分も幅を広げてきたというのがあるんですね。なので、山根さんのように「一点に特化してきた人」にすごく憧れがあるんです。自分は時に描いて、時にディレクションをして、時にロゴを作って……と、バラバラとやってきたので。だからこそ、この仕事を続けられているというのはありますが、やはり特化してきた方の「強み」って本当に伊達ではないんです。今はその「強み」をどう引き出したらいい作品を作れるのか、そういうことも考えていたりします。――直良さんは「カウボーイビバップ」がお好きだとか。直良素直にファンですね。DVDはもちろん全部買っていますし、なんなら間違ってダブって買ったりしています(笑)。同僚が机に飾っていたソードフィッシュのプラモを触りまくって怒られたりすることもありました(笑)。山根クリエイターとして当り前のことですが「前と同じではいけない」「人の真似をしない」というのを常に考えています。「カウボーイビバップ」のメカデザインは、当時「ガンダム」「エヴァンゲリオン」と来て、次はどういう世界観・メカが来るんだろうというのを考えながら作っていたんですよね。だから、個性的と言うか、それまでのアニメメカファンが掴みどころを見失うようなデザインで。たまたま作品の世界観とマッチしていましたが、人は選びますよね(笑)。もちろん、自分は大好きで、代表作でもありますが。直良「ガンダム」の戦艦とかに見られる工業的なプロダクトを感じられるデザインもすごいと思っていました。でも「カウボーイビバップ」のソードフィッシュってポンコツ感があるじゃないですか(笑)。「ルパン三世」のフィアットとかもそうなんですが、あれが好きで。山根あのポンコツ感は狙ってましたね(笑)。アニメのメカって「最新鋭の兵器」として発展してきたじゃないですか。その中で「日常的な乗り物」をモチーフにしたデザインにしたメカがあってもいいはずだと。自分も古い車が好きなので、「使い込んだ愛車」みたいな切り口なら新しいものができるんじゃないかと思っていたんですよね。それを投入できるアニメが「カウボーイビバップ」だったんです。いいご縁がありました。――このまま「カウボーイビバップ」の話がずっと続けられそうですね(笑)。ところで、山根さんも直良さんも、地元に帰って仕事をしているわけですが「地元に貢献したい」という想いもあるのでしょうか。山根自分が描いているのは、メカニックという特殊のものなので、それを活かすのは難しいかなとは思っています。でも、それ以外の形―例えば、自分が島根に戻ったときはまだ若かったので、「若い人が人口の減ってきた田舎に戻ってくる」みたいな形で貢献できるのではないか、という考えは少しありましたね。それがうまくいっているかはわかりませんが(笑)。ただ、ここ2年ほど、公民館からのお願いで、中学生とかをうちのスタジオに招いて、メカニックデザインのお話などをさせてもらっています。少人数ではありますが、アニメーションの現場を見たことがない子どもたちに見せられる、それも島根で。というのは、非常に貴重な体験ですし、これがなにか一つの始まりになるのではないかと思っています。――それは素晴らしいことだと思います。直良さんも、そういった活動をされていましたよね?直良美術コースがある高校の学生さんや、松江市の高校生たちが職業体験としてポートフォリオを作成しに来たりしていますね。そういう子どもたちに将来の話を聞いていると、エンタメの場で働きたいという方もいて、島根にもやはりそういう職に就きたいという方がいるんだなと改めて感じますね。山根でも、こうやって子どもたちに仕事の話をしていると、ときに後ろめたくなることもあります。自分たちはなんとか仕事にできていますが、イラストやデザインのお仕事って、時代の流れや携わる作品など、運や偶然に左右されることが多くて。「アニメ作り面白いからやってみなよ!」とは簡単に言えないのがつらいところですね。なので、業界への就職を勧めるというよりは、何か一つ、物事に対して考えを巡らせるきっかけになればいい。そういう思いで子どもたちとは接しています。直良勧めるか否かは別として、「発信すること」ってやはり大事だと思います。「こういう仕事もある」というのを発信して知ってもらわないと、考えるきっかけは生まれませんから。そうこうしているうちに日本で発信する人がいなくなってしまったら、海外のクリエイターに目を向けるしかなくなってしまいます。海外のクリエイターたちを見るのはもちろん悪いことではありませんが、ちょっともったいないじゃないですか。日本にもたくさんのクリエイターたちがいるのに。だから、継続して発信していくのは続けていきたいですし、それが地方でもできているというのも伝えていきたいですね。そして、「ハブ」みたいなお仕事もできればいいなと思っています。デザイナーって、このくらいの能力を持った人がこれくらい集まると、こんな物ができる、というのが見積もりしづらいんですね。これって企業にとってはすごく扱いづらいと思うんです。なので、デザイナーだけど事業ベースで頭を使うことができるか、良質なコンテンツを生み出すための座組をどうやったら作ることができるか、というところにもう少し踏み込んでいかねばと思っています。自分がディライトワークスと組んだときも、それを考えていました。東京の企業にモノづくりのための体力や機能面を補ってもらい、じゃあそれに対して地方から定期的に良質なクリエイティブを届けられるのか。そこに挑戦してみたかったんです。――手応えは感じられていますか?直良昨年、島根でようやくプロジェクトをキックオフしたんですよ。内容に関してはまだ何も言えないのですが、「こういう座組なら、地方でも新しいプロジェクトを起こせる」というところになんとか辿り着くことができました。――それは楽しみです。ちなみに、こういったプロジェクトを立ち上げる時、「地域貢献」というのは考えていますか?直良実は、ほとんど考えていないんです。というのも、「地域貢献」に成果を求められてモノを作るのは、我々の本業というわけではないので非常に厳しいんです。まずはコンテンツを見てもらって、いい反応が返ってくれば、その延長で結果的に地域貢献につながるというのはあるかもしれませんが。そこの順番は逆転しないようにしています。――自分がやりたいことをやって、それが結果的に地域貢献へとつながるというのが一番キレイだと思います。話は変わりますが、直良さんは以前、デザイン作業中の「神が降りてくる瞬間」を可視化したいとおっしゃていましたが、山根さんもそういう話をすることはありますか?山根意外と、そういう話をする機会ってないんですよね。自分はそういう話もしたくてこの業界に入ったのですが(笑)。もちろん、描いていてひらめきを感じることはありますが。デザイン哲学の話とかも、する人はあまりいませんね。直良自分なんかは結構いろいろな人と話す方なんですね。ひらめきを可視化する上で、天才・秀才はどう違うんだろうとか。色々考えて、「秀才」は根拠を積み重ねてコンセプトに辿り着く人、「天才」は最初からコンセプトに辿り着いてしまう人、そう定義しました。コンセプトに勝るものはなくて、そこへのたどり着き方が違うのだと。山根そういうのは、やっぱりゲーム業界のデザイナーの層の厚さや、共同作業という意識が強い故なのかなと。アニメ業界って人が少ないんですよ。中々そういうのを話すこともないし、なんなら我流でやってる人も多いので、真似もできなかったりします。根本的に、違うところなのかもしれないですね。直良ゲームの場合、開発に携わる人数というのはかなり多くなっているので、意識の共有をしないと作っていけないんですよね。感覚で作業していると、結局コンセプトに辿り着けず、そこで諦めてしまう人もいます。そういう意味で「可視化」というのは非常に大事だと思っています。実際、自分も諦めてしまう人を何人かみてきて、なんとかこれを防げないかと思って「コンセプトシート」というものを作ったりしています。今、自分がいる「アイディアの座標」はどこなのか、自分がひらめいたものはコンセプトなのか、それとももう少し小さいモチーフなのか。これらを客観的に見て、あとは詰将棋で詰めていけば、いわゆる秀才タイプという方でも成果を出せると思いますし、実際にディライトワークスの若手たちに共有してみたところ、ちゃんと結果が出ているんですよね。山根システマチックですよね、ゲームは。アニメ業界は割といきあたりばったりで、後先考えていないところがあるかもしれません(笑)。直良逆に、なぜアニメ業界はそれで成り立っているのか、興味深いですね。金銭的な面は抜きにして、何かを作ろう、という人の割合が多いのかなと。山根みんなが老体にむち打ちながら働いているからかもしれませんけど(笑)。新しいことに中々踏み出せない業界なんですよ。直良ゲームの場合は、5年経ったらハードもインフラも変わってしまいます。自分も『FFVII』の話は名刺代わりに使わせてもらっていますが、じゃあそのころ使ってた技術が今通用するかと言われるとそうではなくて。代謝の激しい業界なので、良し悪しは別として新しいものが出てきやすいんですよね。そこが大変なところでもあり、面白いところでもあります。ただ、「セカンドキャリア」を早い段階で要求されてしまう、積み上げてきたコストに対しての継続性が少ない、といった問題もあります。自分もそこはやはり怖くて。今はスポーツ選手のセカンドキャリアなどを参考にしながら考えていますね。――山根さんも、「このまま描き続けるのか……」といったような怖さを感じることはあるのでしょうか。山根本当は、自分も後続を育てて、描いてもらいたいとは思っていますが……。やはり業界的に予算面がかなり厳しいんです。会社を立ち上げるのも、人を雇うのも厳しくて、そういうのをできてるところもほとんど無いです。だからこそ自分は島根でも働けると思って戻ってきたのですが。体的には後続を育てたほうが絶対に楽だとは思っているのですが、自分で描いて、ひらめきからいいものができたときの感覚というのは忘れられないので、結局は描き続けてしまうかもしれません(笑)。――自分もライティングをやっている身なので、その気持ちはよくわかります(笑)。直良さんは以前からHPで弟子を募集されていましたよね。直良実は、決まったんですよ。8月に移住してきました。山根移住ですか!それはすごいですね。――今はアシスタントという形で入っているんですか?直良いえ、自分は「アシスタント」として人を入れないようにしていて。アシスタントという形だと、どうしても「自分の仕事をどう割り算するか」「自分の衰えをどう補うか」という話にしかならないんですよね。それは、いずれお互いを不幸にするなと。なので、それが例え自分と毛色が違うものであっても、「作りたいモノ」をもっている人に来てもらっています。――直良さんのお弟子さんが今後どう世に出ていくのか気になるところです。では、また少しお話を変えて、山根さん・直良さんのコラボ、みたいなお話はあったりしますか?山根まず、自分と同じイラスト・デザインの仕事をしている「IZM designworks」という会社が、出雲にあることがすごく嬉しくて。「IZM designworks」ができるまでは、すごく孤独感を感じていたんですよね(笑)。なので、もし島根のクリエイター同士コラボできるなら、やってみたいなと思っています。直良我々も地元ゆかりの物を作っていきたいと思っているので、そこでなにかお願いできたとしたら、一つのきっかけにはなりますよね。また、点と点を繋げてハブのような役割もできたら、一つの結果として面白いものができるかもと考えています。クリエイティブなものって、人によって出来上がるものがぜんぜん違ってくるので、自分が作りたいものを、それを作りたいと思ってくれる人と一緒にいい形で作ることができたらいいですよね。山根作品作りとはまた違うんですけど、島根発のポップカルチャーをまとめていければとも思っています。直良さんはもちろん、島根出身のクリエイターさんは多いので、同郷のクリエイターたちがコミュニケーションできる場があると面白そうですよね。直良まず集まる、それから発信して、モノづくりに繋げる―。このサイクルができると、シンプルでいいですよね。――場作り、コラボ、期待しています!おふたりとも、本日は貴重なお話ありがとうございました。島根出身というつながりから、また何か新しいものが生まれるのではないかと思えた今回の対談。お二人のコラボや、さらなる輪の広がりにとても期待が持てます。ちなみに、山根氏の代表作「カウボーイビバップ」は、今回インタビュアーを努めたインサイド前編集長・やまさきの好きな作品でもあり。直良氏が所有するDVDを3人で観る一幕もありました(なんか悔しかったので帰ってから筆者も全部見ました。名作ですよ!)。なお、山根氏は2020年7月23日に公開を控えている「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」でもメカニカルデザインを務めており、2020年1月11日から島根県立石見美術館での展示が始まる「富野由悠季の世界」では、山根氏と富野由悠季氏の対談も行われます。対談観覧の申込みはすでに締め切りとなっていますが、この機会に島根へと足を運び、展覧会を楽しみながら、山根氏や直良氏の愛する島根を存分に感じてみるのもいいかもしれません。取材協力:IZM designworks